三輪の中心部にある融通念佛宗の小さなお寺。山号は善生山(ぜんしょうざん)。創建は寛永時代(1630年頃)とされています。建築・文化財には、三輪恵比須神社の神宮寺であった「福楽寺」(明治初年に廃寺)のものと、天ノ山に存在した「道場院」(昭和初期に閉鎖)のものを合わせ、現在は、本堂・地蔵堂・舎利殿のほか、
多数の石造物が境内に存在しています。
本堂のご本尊は、阿弥陀如来を観音菩薩・勢至菩薩等の十体の菩薩が囲繞する木造の『十一尊天得阿弥陀如来』(ご開帳は除夜・新年法要の期間のみ)で、極楽浄土からの来迎の姿を現しています。
そして地蔵堂にお祀りする『地蔵菩薩』は、先述の旧福楽寺から廃仏毀釈の際に移したもので、「虫切地蔵」や「雨乞い地蔵」とも呼ばれ、同境内の別の祠に祀られている「流れ地蔵」とともに、『難逃れのおじぞうさん』として古くから信仰されています。
また本堂の前には、奈良県出身の詩人・阿波野青畝の「浅くとも浄土の春の有難き」と刻まれた句碑が立ち、名所のひとつになっています。
一年を通して、檀信徒向けにさまざまな法要が執り行われていますが、2月15日の「涅槃会(えはんえ)」や4月8日の「はなまつり」、8月23日・24日の「じぞうまつり」など、檀信徒以外の方でも自由にお参りできる行事も行われています。
元は、当寺近くの三輪・恵比須神社の神宮寺であった『福楽寺』のご本尊としてお祀りされていた『おじぞうさん』は、明治初期の廃仏毀釈で当寺へ移されました。その台座の周囲には火焔(かえん)と波涛(はとう)が彫られ、「火」と「水」ですべてのものを祓い清める意味を表していることから、「祈祷仏」として建立されたと考えられています。
この『おじぞうさん』は、ご自身(菩薩像)の大破損や廃仏毀釈など、幾多の災いや難を越えて来られたことから、『難のがれ』や『諸願成就』の地蔵尊として古くから信仰されています。
その他、日照りが続きだったある時代には、雨乞い地蔵として頼られた言い伝えがあり、また、いつの頃からか『虫切地蔵(むしきりじぞう)』とも呼ばれるようになり、子どもの癇虫(かんむし)を退治する、虫切り(虫封じ)の地蔵尊としても親しまれ、子どもの無事と健やかな成長を祈願される方々がお参りに来られます。
そして、“降りかかる大難が小難に…”、”小難が無難に…”と、「流れ地蔵」とともに人々の生活に密接した存在として、家内安全・身体堅固・除災与楽・・・諸願成就を願う人々の想いを聞き入れてくださっています。
心念寺のある三輪地区の各町内には「おじぞうさん」がありません。その昔、大雨による初瀬川の度重なる氾濫により、それまで各町内で祀られていた「おじぞうさん」が流されるという被害がありました。これからも難が繰り返されることを案じられた当時の人々は、流された「おじぞうさん」を集め、安穏の願いを込めて当寺の境内にお祀りされたと伝えられています。
そのことから、何体もある「おじぞうさん」の石像群は総称して「流れ地蔵」と呼ばれ、三輪の町を守る「おじぞうさん」として今日に至っています。
中でも、この祠の中央に安置された「おじぞうさん」は慶長時代のもので、眉間部分に斜めの白い線が走り、まるで致命傷を負われたかの様な痛々しい姿。これは、お参りに訪れる人に対して、“苦しみや痛み、すべての難を、私がすでに代わって受けているから、あなたは大丈夫。心配せずに安心してお過ごしなさい” と畏れなき心を施し、見守ってくださる『代苦』の姿であると伝えられています。
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